◇◇湯川五社神社神◇◇
◆五社神社の由来◆
御祭神 石動彦尊 国侠槌尊 岡象女命
五社神社の鎮座は、平安大同年間で茲千ニ百年に及び、
古来護摩堂山三麓五社川に接し、神威広く北越の地域に
及び郷土の信奉篤く今日に至って居ります。
不幸に文化三年神社の祭禮の火の不始末により神社を焼夫しました。
文化八年に神殿竣工、現在に至って居ります。
◆五社神社神楽舞◆
<起源>
『湯川五社神社の神楽』の起源は定かではないが、一番古い文献として、文化八年(一八一一年)の神社再建時に神楽が奉納されたという記録が残っているという。
しかし、神社自体が白山比咩神社(石川県)の系統をくみ、大同二年(八〇七年)に湯川村産土神として創建されたと伝えられていることなどから、神楽はそれ以前にこの地に伝播し、演じ続けられてきたものといわれている。
笛と太鼓が奏でる素朴な楽で演じる舞は、五穀豊穣、国家安泰、悪病退散などを祈念して、昔からある神楽場として畳六帖の定型化した場所で演じられている。
採物を持って舞う出雲系神楽(言い伝えでは大和神楽)の流れをくむ神楽舞。
祭事として、地区内法螺貝が触れ歩き、お祭りの開始を知らせる。
そのあと、法螺貝を先頭に神主宅から神社へ伶人たちの宮上り行列があり、拝殿内で神事奏上へ移って、最後に神楽舞が奉納される。
<継承活動の経緯>
明治(一八六八年~)に入り神楽舞を継承すべき人たちが他所へ行ってしまったり、神仏習合などで年々衰退の途をたどりつつあった。それでも何とか毎年演じ続けられていたが、第二次世界大戦中に中断を余儀なくされた。
戦後(一九四五年)まもなく復活し、その後各地域の行事などに参加するなどしていた。
昭和三十二年(一九五七年)になり、神社拝殿の屋根修理を機に、氏子や地域の人たちから神楽舞保存の重要性がとなえられ、「湯川五社神社伶人会」が正式に設立された。
平成十二年四月には、町より無形民俗文化財に指定されている。
<定例行事>
每年、神社例祭の新年祭(一月一日)、春祭(四月十五日)、秋祭(九月十五日)、新嘗祭(十一月二十三日)に拝殿内の神楽場で演じている。
奉納 平成十五年十一月吉日
◇◇湯川五社神社神◇◇